「求心力」
あまりこういうことは書かないのですが。。。あくまでも「チーム」というものを考えるものとして
- 組織をまとめる人。。。
- チームの結束を強める人。。。
特に昨今のように
- 現場に問題解決の糸口がある
- 知識や知恵は現場ほどある
などの場合。。。いくらトップに立ったからと言っても「偉いから」というだけでは。。。結局その下で動く人々が散開してしまい、結果、そのトップの方の評価に繋がってしまう。。。ということでしょうか。
規模こそ違えど。。。
首相と知事。。。
現場を本気で見つめた回数が明暗を分けましたかね?
多様な価値観や個々の存在が過去よりハッキリとある今。。。
トップダウンだけでは。。。遅かれ早かれ組織は「結束力」を失うということでしょうか?
結束力=ひとつにまとめる力=統一させる=unify
“unifying”=【形】求心力がある
まさに「求心力がなくなった。。。」ということなのでしょうか。
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Comments (3)
はじめまして。自分の考えていることや立場について最近思うところが多く、偶然こちらのサイトへ辿り着きました。
もちろん最近の世情について言っておられるのだとは思うのですが、自分の現在の職場にも同様のことを当てはめられるのでいろいろ考えさせられました。
>現場を本気で見つめた回数が明暗を分けましたかね?
というところ、まさにそう思います。
トップ(=上に立つ人)と現場(=その下でその組織を構成する人)、の間にはどうしてこうも温度差が生じてしまうのだろうと、最近疑問に感じることが多いです。
求心力を失った組織は、崩壊するか、あるいは誤摩化しながらも突き進むしかないのでしょうか。
この国のように、新しいトップをたてることが叶わないなら、現場の人間はただただ崩壊を待つか、自ら去るしかないのかと自分はいま、静観の立場でいます。
IT業界のかたのようですね。自分はぜんぜん駆け出しの身です。
今後もちょくちょく拝見させていただくかと思います。
長いコメントを書き込んでしまい、申し訳ありません。
コメント by 通りすがり — 2007/9/15 土曜日 @ 14:23:37
はじめまして。お返事が遅くなり申し訳御座いません。m(_ _)m
> 求心力を失った組織は、崩壊するか、
> あるいは誤摩化しながらも突き進むしかないのでしょうか。
これは「組織病」というか、どうしても人はたくさんの人数が集ると、「隠れたり」「おんぶにだっこ」になったりしやすいですよね。。。「ぬるま湯」に浸かってしまうと。
最近読んだ本で大和ハウスの会長様が書かれた本がありましたが、まさにいかに「ぬるま湯」を打破するかということが書かれていました。そして、やはりそうした状態を打破するためには「喧嘩」が必要であり、「自己」が必要だとありました。
「喧嘩」や「自己」というとなんだか物騒でわがままな感じですが^^;、「自己」が無ければそもそも協調して何かを勝ち取ろうとしないだろうし、そうして共通目標が見つからないだろうと。
そして同じゴールを目指して「喧嘩」をしろと。
「喧嘩」というか、「Discussion」ですね。「Dis=無い + Cuss=恨む」つまり「Discussion = 恨みっこなしよ」ということです。あくまでも考え方や方法論が異なるだけで、ゴールは同じ。なら恨みっこ無しできちんと向き合いましょう!というものです。こうすれば「おんぶにだっこ」も減るだろうし、「ぬるま湯」も少し温度をあげるのではないかと思っております。
> この国のように、新しいトップをたてることが叶わないなら、
> 現場の人間はただただ崩壊を待つか、自ら去るしかないのかと自分はいま、
> 静観の立場でいます。
前述したように「自己」は大切だと思います。「自分はどこへいきたいのか?」「自分は何をしたいのか?」というもの。そうした「自己」を抱え、いざという時に自分の一歩を踏める体制を保ちつつ「静観」はありなのかなと思います。
ただ、私もそうですが、現場のモノほど上に突き上げを行うというのも大切だと感じています。広義で「作っている・産み出している」といえるのは、やはり「現場」だと思っています。なので、ぜひ「現場」のパワーで突き上げてみるというのもどうでしょうか?
こちらこそ長々と失礼しました。
今後ともご贔屓に。(o^ー’)b
コメント by れん — 2007/9/18 火曜日 @ 23:04:04
通りすがり改めkudと申します。
今の状況を、しばらく静観していました。というか、そうするしかなかったので・・・
「恨みっこなし」でDiscussionできたなら、本当によいのでしょうけど・・・それができる組織は、自浄能力があり、ある意味健全なのだと思います。どこかで軌道修正できるというか。
現実は、パワーバランスの所以かどうしても誤解のようなものが生じてしまうようです。客観的にはそれがわかるのですけど、自分以外の人間のことは、どうすることもできないですね。もしかしたら自分も煽ったひとりなのかもしれない。身に染みました。
発信者、そして受け取る者、「ゴール」の認識が異なっているからなのかもしれません。でもそれを埋める術がわからないです。
アドバイスいただきました、現場からの突き上げという言葉を、噛み締めたいと思います。
ブログの内容にそぐわないようでしたら、削除していただいて構いません。ありがとうございました。
コメント by kud — 2007/9/29 土曜日 @ 8:54:48